日曜日, 9月 02, 2007

Electrical Tape Sign Art

修悦体、騒ぎ過ぎじゃないかと思う。
修悦体で新宿駅が便利に(佐藤修悦さんのガムテープフォントドキュメント) トリオフォー[34]

独特な形に洗練された文字がガムテープで作られていたこと、それが特に専門的なデザインを学んだ訳でもない駅員の手によるものであったこと、何より好意からであったこと、は確かに驚きだったし、心温まる話であった。

けど、展覧会が開かれたり、皆が駅で写真撮るようになったり、装飾が過剰になってきたり、グッズが作られていったりすると、違うんじゃないかと思う。

サインとしてアイキャッチと可読性は重要だと思うし、見ていて楽しくなったりその場の雰囲気を演出してたりすれば尚いいと思う。話のインパクトとしてはそりゃあ素人が誰に頼まれた訳でもなくあんなものを作り出した方が強いとは思うんだけど、「デザイン」という観点からすれば、今の持ち上げられ方は偏ってると思う訳です。

そもそもテープでサインを作ること自体は他でもやってる人はいる。勿論これらは職業デザイナーが費用対効果を考えた上で作ってるものではあるのだけど。
Vier5
Fulguro

『情報デザイン 分かりやすさの設計』という本の中に、「公共情報デザインの落とし穴」というタイトルで興味深いコラムがある。

"汎用のデザインは、地域固有の習慣に足下をすくわれる。しかも周囲の環境の変化に合わせて成長する余地も想定されていない。"

"デザイン上の課題に直面している人々、能力のあるなしにかかわらず、維持管理の必要と欲求に突き動かされて手を下した人々から学ぶべきなのである。"
情報デザイン

普段使っている駅の過剰な貼紙やアナウンスは、本当に不快で排除すべきだと僕は思う。が、おそらく必要だからやっている訳で、つまりは元々のデザインが成功していないということ。それは見直されるべき問題なんじゃないか。修悦体も、公共空間におけるデザインの、ひとつの批評として受け取りたいと思う。

こんな凄い人がいる、とか調べてみるとこんな面白いことがある、というのを伝えたいとか、広めることは悪いことではないと思うし、興奮を抑えるのは大変だし、受け取る側のリアクションにまではなかなか責任もとれないとは思うけど、単なる面白看板発見みたいな感じで終わるのは勿体無いと思う。マスメディアじゃないところから発信、というところも良かったのに、結局マスメディアによる報道と同じようにツーリズム的な消費がされてしまうのは残念だ(沢山見たい気持ちはわかる。Tシャツとか欲しくなるのもわかるけど、そこは大人になりましょうという話)。

0 件のコメント: